渓流釣、山菜やキノコなどの楽しみ方
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釣った魚を食べない訳
2007年05月26日 (土) | 編集 |

私は釣りが下手だ。1年に10回ほどの釣行で、上手くなりたいという欲望も希薄だから当然と言えば当然。ある方が釣りはセンスだと言っていたが、私には才能がないというのが一番当たっていると思う。

それでも完全にボウズというのは一度きりで毎回そこそこの数の岩魚や山女魚が来てくれるので不満はない。


また釣れた魚を食べることも持ち帰ることも少ない。
理由の1つは20cm以下30cm以上の魚はリリースと決めているからだ。
私の腕で20cm以上はそんなに多くは釣れない。(ちなみに30cm以上はゼロ!)
さらに自宅に持ち帰る場合はサイズ制限に加えて2匹以上釣れることと、最終日の釣果に限定している。
私の釣行パターンは2泊3日だから、3日目の午前中に20cm以上で2匹以上釣れた場合、という3つの条件が揃うことは滅多にないから、家族がお土産の魚をほおばることも滅多にないのだ。


現場で食べることも少なくなった。料理が億劫になってきたのが最大の理由だが、
不味くて食べられないことがあったからだ。
あれは一昨年の5月、福島県熱塩の里川で釣れた岩魚だった。
2匹だけ夕飯のおかずに塩焼きにしたものの身はパサパサで嫌な匂いまでして、結局食べ切れず捨ててしまった。以来里川の岩魚は食べたくなくなった。

釣れても放す方が多いのだから、魚をできるだけ傷付けないためにハリは返しがないもの(バーブレス)を使っている。


呑まれたハリは先が細く曲がっているペンチを使えば簡単に外れるので是非試して欲しい。ペンチ
魚籠
ハリ外しの参考ビデオあり  


 


生かし魚籠の水中ビデオ


 
それでも弱らせてしまったら、この自称生かし魚篭に入れて流れの中で静養させればほぼ回復する。
このネットは100均で「虫カゴ」として売られていた物だが、とても柔らかい素材で魚の体表を傷付けず重宝している。最近見かけないが、これもおススメのアイテムだ。 


数年前まで良く相方と魚をキープする・しないでもめた。
20cm以下でも丸々と肥えた美味そうな山女魚を相方は食べたいのだ。
でも私はダメ出し。


20cm以上あっても「1匹だけ食べても仕方がないでしょ」と言う私に、
しまいに相方は怒りだす。
「俺は釣った魚を食べたいんだぁ!」「食べたいから釣る。当然の事じゃないか!」

里川で相方が20cmに少し足りない山女魚を釣った時のこと。
相方は食べたいと言うし私は絶対に放せと譲らず、しばしの間押し問答があって
渋々相方が山女魚を川に戻すと上から拍手が聞こえた。
驚いて見上げると年配のご夫婦が笑顔で拍手をしていた。


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源流釣り考
2007年05月11日 (金) | 編集 |

「源流」を辞書で調べたら「みなもと(源),すいげん(水源) ,ある川のもととなる水の流れ」。つまり千葉の養老川にも源流はあるわけで…そこは今温泉地だ。(^^ゞ


私の「源流」に対する概念は、ザイルと大きなザックをかついで、何時間も歩いて、
場合によっては滝や岩をよじ登り、川を泳いで、ビバーグしながらようやく辿り着く所。
つまり山登りをしなければ行けない川の上流を「源流」だとイメージしてるわけで、
決して私のような者が釣竿片手に日帰りできるような場所ではない。
ハッキリ言って命がけで、渓流釣りとは次元の違うものだと思っている。


「源流釣り」については時々物議が巻き起こるが、賛否両論真剣に会話していても必ず論争をあおるだけの人物や感情的で攻撃的な発言をする人が表れて、未消化のまま終わってしまうことばかりで残念!だから私なりの源流釣りについて書いておこう。


まるで源流釣りをする人間は自然破壊者であるように言う源流釣り否定論者(以後=否定論者)がいるが、まず大前提として、
自然と野性に無関心で礼儀やマナーも心得ない人と、そうではない人を混同しないことが肝心!
※だから、ここでは釣り以外の事に心を払わない単なる釣りキチを「釣り師」、
 野性と自然環境を大切にしている人を「釣り人」と表現させてもらいます。



否定論者は源流での釣りを禁止すべきだと考えていて、私も場合によって禁漁には賛成。
釣り師が貴重な原種を根こそぎ持ち帰って、痕に残るのはゴミの山!な?って事を考えれば、
禁漁区にした方が良いよね。
ただ、一律源流を禁漁区にすのか? あるいは一体どこからが源流なのか?
単純に源流を禁漁とするなら、千葉の養老川の源流だって禁漁になってしまうでしょ。 
在来種の保護を目的するなら禁猟区は源流とは限らないし、実際に源流とは呼べない川が禁漁河川になっていることは少なくない。
あるいは在来種の保護のためには、放流禁止区域だって必要なのかも知れない。


源流釣りをする人々を源流派と呼んで、自然を顧みない釣り師だと決め付ける否定論者がいるが、魚を持ち帰ったり、節操のない釣り方をしている源流派を私は知らない。
源流派の釣りは今日の糧のためであって、釣り事態を最大の目的としていないと思っている。
山の頂上を目指すのが登山なら、源流派は川の源流域を目指して山登り(沢登り)する人で、
釣りはパーツに過ぎないのではないかな?


中には「管理された河川湖以外で釣りをすべきではない」と言う否定論者もいて、
そんなに極端な発想をするほど自然至上主義なら、いっそのこと全面的に釣りは禁止にする!
と言った方がスッキリといいたい。
自然保護というプラカードを盾にして、実は自分の考え方や自分の釣法が最高のものであると言いたいだけじゃないのか…?
自分の考えが正義であるかのような表現は、まるで原子力発電所を作っている企業が「CO2を排出しない環境に優しいエネルギー」というCMみたいだ。
源流派を否定する手法は、日本を槍玉に挙げて国勢を盛り上げる諸外国の政策と似ているぞ。


今までの論争の経緯があって、私は一つの偏見を持っている。
釣りが上手い人ほど登山や沢登りは苦手で、逆に源流派はあまり釣りの腕は良くない。(^_^;)
だって経験値の少ない魚は簡単に釣れるでしょ。多分私だって尺岩魚が釣れるぞ?!
私にとって渓流釣りの魅力は川と魚と森と空で、渓流釣りはその総称に過ぎないのかも知れない。
それを最も身近に感じる釣りが源流釣りなんだと思っている。
(余談)漁協や釣具メーカーを含め釣りをレジャーとしてバックアップしている組織があるから、今私は釣りを楽しめている。でもその組織は必ずしも自然の味方とは言えないんだよね。


釣りというカテゴリーで守る人がいたり、学者的な賢智で守る人がいたり、動物愛護というテーマで守る人がいたり・・・・・自然を守って行こうとする意識と行動はたくさんあっていいと思う。
同じ方向を見ているか否かが重要で、違う手段を否定してはいけない。
やらないのではなく実は出来ないというのが本音かも知れないでしょ。
だから出来ないことの言い訳に相手を否定してはいけない。
人はみな心の隅に弱さと罪悪感を持っていて、もし誰かを悪者にすることで自分の罪悪感をごまかしているなら、きっと説得力も感動も与えない独りよがりな理屈になってしまうだろうね。


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