渓流釣、山菜やキノコなどの楽しみ方
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源流釣り考
2007年05月11日 (金) | 編集 |

「源流」を辞書で調べたら「みなもと(源),すいげん(水源) ,ある川のもととなる水の流れ」。つまり千葉の養老川にも源流はあるわけで…そこは今温泉地だ。(^^ゞ


私の「源流」に対する概念は、ザイルと大きなザックをかついで、何時間も歩いて、
場合によっては滝や岩をよじ登り、川を泳いで、ビバーグしながらようやく辿り着く所。
つまり山登りをしなければ行けない川の上流を「源流」だとイメージしてるわけで、
決して私のような者が釣竿片手に日帰りできるような場所ではない。
ハッキリ言って命がけで、渓流釣りとは次元の違うものだと思っている。


「源流釣り」については時々物議が巻き起こるが、賛否両論真剣に会話していても必ず論争をあおるだけの人物や感情的で攻撃的な発言をする人が表れて、未消化のまま終わってしまうことばかりで残念!だから私なりの源流釣りについて書いておこう。


まるで源流釣りをする人間は自然破壊者であるように言う源流釣り否定論者(以後=否定論者)がいるが、まず大前提として、
自然と野性に無関心で礼儀やマナーも心得ない人と、そうではない人を混同しないことが肝心!
※だから、ここでは釣り以外の事に心を払わない単なる釣りキチを「釣り師」、
 野性と自然環境を大切にしている人を「釣り人」と表現させてもらいます。



否定論者は源流での釣りを禁止すべきだと考えていて、私も場合によって禁漁には賛成。
釣り師が貴重な原種を根こそぎ持ち帰って、痕に残るのはゴミの山!な?って事を考えれば、
禁漁区にした方が良いよね。
ただ、一律源流を禁漁区にすのか? あるいは一体どこからが源流なのか?
単純に源流を禁漁とするなら、千葉の養老川の源流だって禁漁になってしまうでしょ。 
在来種の保護を目的するなら禁猟区は源流とは限らないし、実際に源流とは呼べない川が禁漁河川になっていることは少なくない。
あるいは在来種の保護のためには、放流禁止区域だって必要なのかも知れない。


源流釣りをする人々を源流派と呼んで、自然を顧みない釣り師だと決め付ける否定論者がいるが、魚を持ち帰ったり、節操のない釣り方をしている源流派を私は知らない。
源流派の釣りは今日の糧のためであって、釣り事態を最大の目的としていないと思っている。
山の頂上を目指すのが登山なら、源流派は川の源流域を目指して山登り(沢登り)する人で、
釣りはパーツに過ぎないのではないかな?


中には「管理された河川湖以外で釣りをすべきではない」と言う否定論者もいて、
そんなに極端な発想をするほど自然至上主義なら、いっそのこと全面的に釣りは禁止にする!
と言った方がスッキリといいたい。
自然保護というプラカードを盾にして、実は自分の考え方や自分の釣法が最高のものであると言いたいだけじゃないのか…?
自分の考えが正義であるかのような表現は、まるで原子力発電所を作っている企業が「CO2を排出しない環境に優しいエネルギー」というCMみたいだ。
源流派を否定する手法は、日本を槍玉に挙げて国勢を盛り上げる諸外国の政策と似ているぞ。


今までの論争の経緯があって、私は一つの偏見を持っている。
釣りが上手い人ほど登山や沢登りは苦手で、逆に源流派はあまり釣りの腕は良くない。(^_^;)
だって経験値の少ない魚は簡単に釣れるでしょ。多分私だって尺岩魚が釣れるぞ?!
私にとって渓流釣りの魅力は川と魚と森と空で、渓流釣りはその総称に過ぎないのかも知れない。
それを最も身近に感じる釣りが源流釣りなんだと思っている。
(余談)漁協や釣具メーカーを含め釣りをレジャーとしてバックアップしている組織があるから、今私は釣りを楽しめている。でもその組織は必ずしも自然の味方とは言えないんだよね。


釣りというカテゴリーで守る人がいたり、学者的な賢智で守る人がいたり、動物愛護というテーマで守る人がいたり・・・・・自然を守って行こうとする意識と行動はたくさんあっていいと思う。
同じ方向を見ているか否かが重要で、違う手段を否定してはいけない。
やらないのではなく実は出来ないというのが本音かも知れないでしょ。
だから出来ないことの言い訳に相手を否定してはいけない。
人はみな心の隅に弱さと罪悪感を持っていて、もし誰かを悪者にすることで自分の罪悪感をごまかしているなら、きっと説得力も感動も与えない独りよがりな理屈になってしまうだろうね。

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コメント
この記事へのコメント
No title
岩魚の目さん 素敵なお話ですよね

自分も餌釣り専門の渓流マンですが、最近は釣果より、マイナスイオン吸入派に変わりました(へぼ釣り師の言い訳っちゅう部分が大ですが)

山本素石さんの本に、そまびととうみびとの、下りがありますが、自分も山彦派です。

日本で渓流が無いのは、千葉と沖縄だけだそうですが、私もその千葉で単身生活しとります。

週末に帰る、群馬の渓流がホームグラウンドです。

いろんなところに単身しましたが、千葉は暖かくて、魚もおいしくて最高です。

これで岩魚ちゃんが居てくれれば---。

でもぜいたくはいえません。

海彦、山彦、それぞれ、楽しみってありますよね。

これからも夫唱婦随で渓流を楽しんでください。
2007/06/09(土) 01:38:00 | URL | yoshio #79D/WHSg[ 編集]
No title
いい文章ですねぇ。

人よりもたくさんの魚、人よりも大きい魚、そういうギラギラした釣りはしたくないです。

そんなの仕事だけでカンニンしてくれ?(^_^;)
2007/05/20(日) 00:20:00 | URL | 鉄腕たろう #79D/WHSg[ 編集]
No title
釣り師と釣り人、見た目に同じ釣りする者ですが大きな違いがありますね。

『魚は、生きながらえていた。渓に水のある限りいつもさまざまな宿命を漂わせて・・・、私は やっぱり此処に来てよかったと思う。かって この渓を訪ねた頃、まだ通りすがりの釣り師として魚を釣ってきた私だった・・・、だが・・・もうそうした“釣り師”ではなく、自然に溶け込む“釣り人”にならなければならない。そう思いながら私は、その谷の水辺から離た。』

と書いてあった昭和の釣り人、上州の根岸氏の言葉を思い出しました。
2007/05/19(土) 23:59:00 | URL | 杣女爺 #79D/WHSg[ 編集]
No title
エゾモモさん:私「釣り師」という言い方が好きじゃないんだ。

軍師、教師、禅師や漁師のように「師」はプロに付くでしょ?

漁師・職漁師なら分かるけど、どんなにキャリアや知識があっても趣味で釣りしてる者に「師」をつけるのは違和感を感じるよ。

だから「釣り師」というと、プロ気取りの釣りの事しか考えないアホな釣り好きだと感じちゃう。



サカタのじっちゃん:言いたい事の半分かな…?ただこれ以上書くと、じっちゃんみたいに頑固者になりそうで(^_^;)

多分どんな事でも狂信的になっちゃいけないんだね。常に聞く耳を持っていなくては。
2007/05/17(木) 21:50:00 | URL | 鉄腕たろう #79D/WHSg[ 編集]
No title
たろさん

言いたい事を書いてくれてありがとう。

皆それぞれの立場から意見を言って良いと思います。しかし違う立場からの意見を否定してはいけないですよね、周りを良く見て聞いて一緒に考えないとね。

そう言ってるじっちゃんも周りの意見を聞いていない頑固爺さんだったりして。あははははは。
2007/05/17(木) 20:40:00 | URL | サカタのじっちゃんです #79D/WHSg[ 編集]
No title
補足

正確には聞き手のおらの元上司の表現だけどね。

一般に師と呼ばれるのは修行や経験が豊富で階級が上ある。

例:軍師、教師、禅師
2007/05/17(木) 00:56:00 | URL | エゾモモ #79D/WHSg[ 編集]
No title
<※だから、ここでは釣り以外の事に心を払わない単なる釣りキチを「釣り師」、

 野性と自然環境を大切にしている人を「釣り人」と表現させてもらいます。>



↑これ南極観測隊に2度参加した医師でイトウ釣り師の高木知敬さんとは使い方逆。

高木さんは釣り人が環境モニターの役割を担ってはじめて釣り師と呼ばれるとしている。

http://com212.com/RICC/648A84E1-CEF3-4347-A5FF-180D5AD00A89.html
2007/05/17(木) 00:42:00 | URL | エゾモモ #79D/WHSg[ 編集]
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